画家と語る 3

2003317

  太陽銀行の真ん中の絵のテーマで、以前に何枚もやってまだサインの済んでいないのをまた描いている。1つのテーマでもいくつもの問題をやっている。ただし銀行の分は、バリ滞在残すところ1ヵ月の間に仕上げなくてはならない。マティスもよく描き直しをしている、1枚の画面でずいぶん闘っている。(マティス以後の)アメリカの絵にはこれが無いんだよね。マティスの絵は豊かだよ。今、この豊かさが失われているのね。自分はそれをやろうとしているんだ 今。

  今回バリに来る時、たまたま飛行機で見た映画。トム クルーズ主演、映画のタイトルは失念。アイルランドから自由と平等と土地を求めてアメリカにやって来た人たちが、自分で旗を立てたところまでを所有する権利を持つ。号令一過、走る人、馬で行く人、それぞれその時の自分の腕力、知力、体力の勝負の物語。初期のアメリカ人の精神構造がどうやって出来て行くかを見たような気がした。いつもコンチネンタル航空に乗っているとアメリカ映画を観ていることになる。人というものの精神的弱さの問題、都会の人間が自分では気付いていない孤独が、人の人情に触れた時、自分というものを見直すというようなテーマである。変なことから金持ちになり、夫婦がギクシャクしてけんかの末、自分が本当の人間性を忘れてしまっていることに気づきその店を他人に渡してしまい、二人の平和を取り戻した話し。このような映画を通して、アメリカ人(1)が良心を持ち、それを訴えたいという思いで映画を作っていることが伝わってくる。ただしこれは飛行機という限られたスペースの中で観る限られた選択の映画。戦争やホラーなどより多数のテーマの映画、これを機内でやるわけにはいかない。

  近年、電話やインターネットやという、人と人の間に機械というものが介在するようになって、相手の波動というか、ニュアンスというようなお互いの直接的関係に触れる事が回避されるようになって来て、挨拶や会話が上手く出来ない人が増えて来ている。人間と機械という関係が問題を起こしてやしないだろうか。利便性や功利性、損得ばかりが言われて人間に余裕や豊かさが失われて来ている。画家が自分が「後衛」をやるというのはこれなんだ。これが芸術家の仕事だ。それを見て心が打ち震えるような――絵。10代の後半で「前衛芸術家」のメンバーに属し、抽象的な表現から始まった画家の絵は、次第に円で描く、その円が手で描いたものからコンパスを使った円になり、次第にまた、手の痕跡のものになり、円の一部、円弧になり、それが合わさって葉のかたちとなり、サーフボードや人のももになり――画家は自分では抽象から具象になっていく――と言っている。自分の絵は明朗で清らか、神道的と言えるかな。  そう描きたい。