「天空にあるもの」
先ずは、お寺の奥さんから話を聞いたのが始まり。この寺を建てたご主人であるお坊さん(故人)を手伝って一緒に仕事をした奥さん。
そのお坊さんは以前の寺を出た(破門?)後、自分で自分の寺を建てることを考えた。彼は大工の技術があったようだ。祭壇も何もかも、全て自分たちで作ったが、金箔が買えなかったため金色の色紙を貼った。屏風もベニヤ板で作り、これから金色の紙を貼るところだという、その屏風を見せられた。
画家はそのストーリーを聞いて感じるところがあった。
「自分が絵を描く」と申し出た。その場でデッサンしてそれを見せた。
バリに行って下図を何枚か描き、後にお寺で和紙に木炭とグアッシュで本画を描く。
その後のある展覧会の折、奥さんがお見えになって封筒を手渡された。5万円が入っていた。画家はお金にする積りで描いたのではなかったので、その展覧会の作品の中から、同じテーマのサムホールの絵を渡した。
バリ島で下図制作
何もかも御住職夫妻の手作りのお寺
(熊本県)
本当に何もかも、
それを聞いた画家が、これも手作りの屏風に描きたくなった
バリ島で描いた下図を屏風(ベニヤ板製)に貼って 御住職夫人と
グアッシュの上にコンテ、裏には屏風を支える人が必要
細部まで、暑い日でした
東福寺にて