画家と語る

2003311

  海辺に住んで「老人と海」を書き、山に移り住んでついに山を書けなかった、へミングウェィ。その環境に身を置いて、その中に浸ることによって海を書き、山を書く。画家が時々話をするのは、1993年に会った(それが彼との最後になってしまったが)高松次郎氏が「熱帯」と言うタイトルで描いていた絵のこと。その時、熱帯に行ってそれを実感して描くことを勧めた画家。

   画家が今描いているのは「太陽」、それまでテーマにして描いていた円、真円の延長としての太陽に始まって、日・月、太陽と葉、など実に多くの太陽を描いているが、先日、新築される宮崎太陽銀行本店の壁画の話があり、実現するかどうかは別にして、画家が持っているテーマとしても、描くだけは描きたいと、カンバスに向かっている。今朝は珍しく「悩んでいるんだよ」と言っていたが、、今日1日をスタートしてみるともう迷いは消えているらしい。もう45か月やっている「太陽」と、銀行のための新作が進んでいる。銀行の2階に4枚並んでいる壁に「葉」と「空」と「太陽神」それに空色の「太陽」が掛けられるといいのだが。

 

2003312

  植えられて1ヵ月の緑の田んぼと、青くなり始めた西の空をベッドで眺めて「さあ、始めよう」と言って起き上る。朝起きた時の天気が良いと画家の機嫌も良い。昨日のうちに地塗りした3枚のカンバスを並べて見て、早速真ん中の「太陽神 あるいは 人」のデッサンを始める。

  デッサンに一区切りつけて朝食。想いは今やっていたデッサンの事。「銀行に来る人というのは少なくとも幸福な気持ちでは来ないよね、その人達が幸福な気持ちになれるような絵。」真ん中に人物、右側に葉と人、左側に空。

  絵と装飾―マティスがやったのはこれだね、ピカソ、マティス以後、カンバスは赤や青一色の絵等になって行くけど、あれはニューヨークに住んでいることの実感なんだろうね、描くことが「何も無い」時代、建物が大きくて壁が3メートルも4メートルもあって。

  さらばしからば自分は何をするか。装飾性と精神性。

 

2003313

「自分が考えていることを誰かに話す―これはなかなか大事なことで、頭の中にはいろいろある訳だけどそれを話すことによってより明確になる。日常の中ではその相手と言うのが大事で、バカじゃダメ!」

バリにいる間、画家は朝起きて先ず仕事、朝食時から食後1時間ほどは、今考えていること、今描いている絵、今読んでいる本の事を良く話すのが習慣になっている。

マティスもモロッコ、オセアニアなどに旅行してその印象が頭の中にずっとあって新しい展開の絵が描けた。また、ニースで仕事してパリに行って、その絵から離れていてもずっと今描きかけの絵のことが頭の中を支配していて、実際には描いていなくても仕事は続いているわけだ。今、オレがやろうとしているのは、やはり「マティス」だろうな~。