ゲストの声 1

「夢」は井山さんの家の玄関の横に飾られているおおきな大きな絵です。夕方から夜になると、なぜか後ろの奥深いところからぬーーーっと現われてくるようそんな絵です。絵はすでに一部が剝がれていたり、穴があいていたりしていましたが、最初は井山さんに言われるまでそんなことにも気づかなかったくらい、その絵は、全てを飲み込んでしまうような迫力と、温かく包みこむような包容力に満ちているような気がしました。不思議ですが、夕食作りのお手伝いをしているときや、お皿洗いをするときにキッチンに立つと、必ず何かの視線を感じるというか、誰かがいるような感じがして、振り向くとその絵があるのです。そして一度振り返ると、どうしても目が離せなくなってしまう、そんな不思議な体験でした。

 

その時、ああこの絵は息をして、生きているんだな、と思ったのです。

 

非常に大きなキャンバスに描かれており、玄関入った広間のすぐ左手に飾られているのですが、最初はその絵の存在に気付きませんでした。なぜかその絵は昼間は姿を消すようなのです。でも、日が落ち始め、太陽の光が届くか届かなくなるくらいに、絵は、急にその存在感を増し始め、夜に頂点を迎えます。

 

中心に浮かび上がる生々しい人体のようなものがその絵から動き出すのです。思わず目をキャンバスの近くに寄せると、大きな手のような、生き物のような(肌色なので、人間の体の一部のようにも見え、そして少し女性的な柔らかさがありました)その物体が少し物悲しい背景のなかに力強く浮かび上がってきて、一定の速さを持って空をうつくしく飛行しているように見えます。浮遊している、と言うよりはどこか一点をめざしてシュッと流れている、そんな勢いのある動きでした。でもその物体には体温があり、その波打つ脈がキャンバスから、キャンバスと私の間に流れる空気のバイブレーションを通して、感じられます。

 

背景は夜の空がイメージされます。中心に描かれたその物体とは対照的に冷たい、悲しく暗い色をした空。でも決して絶望的ではありません。不思議ですが、そこには悲しみよりも希望が満ちているように感じられました。なまなましい肌色の生き物の横には大きな大きな惑星が、(太陽かもしれませんが、私の頭の中では夜なので、月といってもいいかもしれません)今にも爆発しそうなくらい煮えたぎり、その物体とは全く異なる早さで脈を打つ心臓をむき出しにするので、私の心臓をもドキドキさせます。焦燥感、怒り、野心、情熱など駆り立てるマグマがその惑星の表面を網羅し、渦巻いているからかもしれません。このマグマが今にも吹き出るのではないかと思うと、体が硬直しますが、視線を横に流すと、またその温かな物体が優雅に空を舞うのでほっとするのです。赤い惑星と優雅に動く生き物を静かで希望に満ちた空が包み込み、それはなんだか、夢という希望のように見えたのです。

 

この生き物はきっとこの惑星が消滅すると、飛べなくなってしまうのではないか、とふと思いました。そのあと、ああそうか、みんな共生しているんだな、と、一人で納得したのでした。

 

なぜか、すべては調和の中にありました。

 

静かに、静かに、、、。

 

伸子

ゲストの声 2

バリの光は強い。

植物は光によって鮮やかさを増し花は甘い香りを漂わせて真青な空に消えてゆく。しかしその明るさとは対照的に闇の暗さも内在させながら光は陰陽の世界を作り上げている。当たり前のことではあるが絵は光と共にある。私は光と絵の関係についてあまり考えたことはなかった。それは一人の画家の絵をギャラリーや美術館で「観賞」という形でしか観たことがなかった私の経験が、絵と光の関係について鈍感にさせていたように思う。短い時間ではあったが井山さんの絵に囲まれて過ごした時間は、光によって絵は違う表情をするというひとつの発見でもあった。

ゲストルームのドアの横に一枚の絵が飾られていた。彼がバリ島に来てから初めて描いた作品である。異国に魅せられた情熱と未知なる世界への期待と不安が線となり、深いブルーのなかに渦巻いている。ドアを開けるたびに目にするその絵と、バリ島にきて感じた私の感情が対峙し、まるで時空を超えて彼とバリ島を旅したような不思議な感覚になるのである。ドアを閉めて眠りにつくときに思い出されるのは、バリの風景とその日観た井山さんの絵の鮮やかな色である。

生活のなかに絵があることは、絵を観るぞという少し肩肘張った心構えなしに、突然に、まるで朝小鳥の囀りが聴こえてくるようにそっと私の目に入る。贅沢な時間だと思う。様々な時間帯に絵を観ると、前に観た時とはまた違う視線が生まれその新鮮さに感動することができるからである。

私は嬉しくなると無意識に歌を口ずさむらしい。周りにとっては迷惑な癖が井山さんの家で如何なく発揮されていた。絵を観たことで私の深く深くに沈んでいた心が震えたひとつの波紋である。口ずさんだメロディーは言葉にすることはできるのだろうか。これはきっと言葉の間と間を流れるメロディーなのであり、言語では汲むことのできない私の感情である。私はこのメロディーをバリで最も最高な時間だった思い出として心にとっておこうと思う。あのエレガントで鮮やかな色と線とともに。          幾何